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一休さん、大人になったオドロキな一休和尚の実像とは

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「一休宗純頂相」酬恩庵蔵

「一休さん」は誰もが子供の頃には一度は見たことがある人気テレビアニメシリーズ。

教育番組、良い子の「一休さん」がしっかりと脳裏に焼き付いています。

ところが近年破天荒なオヤジになった一休和尚が、なんとNHK番組に登場。

そこで今回はかわゆいキャラ一休さんからシュールな一休和尚の実像までの、オドロキな変貌を考察します。

一休さんのイメージが一変してしまいます。ご注意ください!!

 

 

一休さん(一休宗純)和尚の実像は

「一休禅師木像」酬恩庵

アニメの一休さんは実在の禅僧。一休宗純(いっきゅうそうじゅん)、明徳5(1394)年~文明13(1481)年(室町時代)臨済宗の僧。

後小松天皇のご落胤((らくいん)身分の高い男性と正妻でない女性の間に生まれた子供の意味)として誕生。母親は楠木正成の孫、楠木正澄と伝えられています。

幼名は千菊丸。戒名は宗純。道号(戒名の上に付けられる名前)が一休

 

一休さん(一休宗純)の生涯

  • 応永元年、京都で誕生。
  • 応永6年(1399年)6歳の時、名を「周建」と改め安国寺の童子となります。
  • 応永17年(1410年)17歳、西山西金寺の謙翁宗為和尚へ参禅。戒名を宗純と改めます。
  • 応永22年(1415年)22歳、大徳寺の高僧、華叟宗曇の弟子となり、一休の道号を授かります。
  • 応永27年(1420年)27歳、カラスの鳴き声を聞いて大悟。 師・華叟より与えられる印可状(師がその道に熟達した弟子に与える許可)を辞退。 以後、詩、狂歌、書画の制作に励みます
  • 文明6年(1474年)81歳、後土御門天皇の勅命により大徳寺の住持を拝任。ただし、実際には一度も大徳寺に住むことはなく、愛する彼女とともに粗末な小屋で生活を続けたそうです。
  • 文明13年(1481年)、京都酬恩庵においてマラリアにより死去。享年88歳。臨終に「死にとうない」と述べたと伝えられています

風狂僧、一休

『一休宗純像』伝・墨渓筆

 

一休和尚の悟り

17歳、戒名を「宗純」とし謙翁宗為への入門、謙翁との死別を憂い、葦の茂る川辺の小舟で座禅を組んで夜を明かします。

22歳の頃、江州堅田・祥瑞庵の華叟宗曇和尚に弟子入りを認められ、或る晩、カラスが鳴くのを聞いて大悟したと伝えられています。

師・華叟宗曇が「本当に悟りを開いたのか?」と問うと、「悟っていないのなら、悟っていないでいい」と答え、華叟宗曇はその答えに満足し、一休の悟りを認めたといわれます。

 

一休和尚の風狂精神

一人前の禅僧となった頃、僧の世界も権力争いや師匠の系統間の抗争も激しかった時代

一休さんは禅宗の俗化に反発し、各地を行脚して武士・町人と自由に交際、禅の普及に努めたといわれています。

  • 厳格な修行を行い、自身が貰った印可(修行の証明書)を焼き捨ててしまう、
  • 木刀を腰に差し「今の禅僧はこんな木刀みたいな連中ばかりだ」と非難するなど

時勢に対して歯に衣を着せぬ言動、奇行をおこない、禅のありかたを主張したといわれ、その奇行は当時の民衆に広く受け入れられました。

  • ある時、親交のあった本願寺の蓮如和尚の留守中に上がり込み、阿弥陀如来像を枕に昼寝。帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」といい、大笑いしたといいます。
  • 正月にはドクロをしつらえた杖を持ち、「ご用心、ご用心」と叫びながら街を練り歩いたと伝えられています。

 

一休和尚の奇抜な言動は禅宗における風狂(本来は破戒ととり得るものを、悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価すること)の精神の表れ。

こうした行動を通して、当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、時代に警鐘を鳴らしたものと解釈されます

 

一休和尚の恋

一休和尚は飲酒や肉食以外にも男色、女犯を行い、岐翁紹禎という実子の弟子もいたといわれます。

1467(応仁1)年「応仁の乱」勃発。京都の町を焼き尽くします。

一休は大坂に避難し、盲目の旅芸人・森侍者(しんじしゃ)に出会います。

この時、一休76歳、森侍者は20代後半。50歳ほど年齢差も気にせず恋を成就させます。ちなみにその想いは詩集『狂雲集』に残されています。

そして一休がこの世を去るまでの間、ふたりは酬恩庵で共に暮らします

 

一休和尚の最期

1481(文明13)年、マラリアによって一休はこの世を去ります。

その時朦々淡々(もうもうたんたん)として60年、末期の糞を晒して梵天に捧ぐという辞世の句を残します。

臨終の言葉となったのは「死にとうない」であったとか

禅僧でありながら、肉を喰らい、酒を呑み、権威に反発し、女性を愛した、風狂と評される生涯を終えます

 

一休和尚の遺業

一休和尚の奇才を伝えるものとして、幼児期の頓知咄(とんちばなし)を記した「一休頓智咄」や『一休咄』も有名です。

  • 能筆(字を書くことが上手なこと)でも知られます。
  • また、茶人としての一休が村田珠光(茶人)の師であるという伝承。
  • 著書(詩集)は、『狂雲集』『続狂雲集』『自戒集』『骸骨』など。

東山文化を代表する人物であると評されます。

 

一休和尚の名言(?)

・女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

・世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬるを待つばかりなり

・南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

wikipedia

 

 

「あわてない、一休み」な「一休さん」の人気は

一休さんは日本の長寿番組のひとつ。1975年〜1982年の7年間、全296話の放映、「日本昔ばなし」や「サザエさん」など日本の長寿アニメ番組のひとつです。

 

 

オトナの一休さん」はNHKラジオドラマとEテレのアニメ番組。第一シリーズ、第二シリーズとして2016年6月〜2017年6月まで放映されていました。

煩悩に従い、執着心を捨てた破天荒な一休和尚、その「破戒僧」の生き様が、もしかしたら道に迷った私たちに新たな指針を指し示してくれるかもしれません。

 

 

一休さん(一休宗純) まとめ

「一休和尚像」紙本淡彩

夏休みの朝番組で当たり前の様に見て育った「一休さん」が「オトナの一休さん」の様に変わってしまうのは正直なところショックです。

けれど、その内容を冷静に受け止めれば、禅の教えを色濃く(濃すぎ?)伝えようとする思惑が伝わってきます。なんとなく、破天荒な「江原啓之」さんを見ている様。

けれど考えれば、坊主は生臭いのが自然なのかもしれませんね。

 

 

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