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桂小五郎(木戸 孝允)とは。「維新の英傑」その功績や人格、妻幾松

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桂小五郎 ,木戸孝允-1

薄桜鬼や銀魂など、アニメやゲームでもお馴染みの桂小五郎(後の木戸孝允(きどたかよし))。『維新の三傑』と称された幕末の志士のひとりです。

日本史の教科書なんかで名前だけは知っているという人も多いのでは。今回はその桂小五郎に注目です。

西郷隆盛や坂本龍馬と比較して存在感はイマイチな印象はあっても、剣豪としても有名なダークホースであることは確か。

実は日本を変えた立役者、その業績とは。

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日本を変えた英傑、桂小五郎(木戸孝允)、その功績と人柄

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出典:yoshida-shoin

桂小五郎(後の木戸孝允)、長州藩士であり政治家。吉田松陰に学び、西郷隆盛、大久保利通と並ぶ明治維新に尽力した「維新の三傑」のひとり

天下にその名を轟かせた剣豪

薩長同盟の成立に貢献し、維新後は政界において『五箇条のご誓文』『版籍奉還』『廃藩置県』など、多くの政策に携わりました。

1877年5月、西郷隆盛が盟主となって起こった士族の内乱「西南戦争」の最中、病のために死亡。その最期に、「もういいかげんにしないか」と言い残し、この世を去ったと伝えられています。

略歴

桂小五郎 ,木戸孝允-4出典:yoshida-shoin

  • 1833年(天保4年)長州藩医・和田昌景の長男として誕生。和田家は毛利元就の七男・天野元政の末裔に当たります。
  • 1840年(天保7年)7歳の時、桂九郎兵衛の養子となり、武士の身分を得、「桂小五郎」となります
  • 1846年(弘化3年)新陰流剣術内藤作兵衛に入門。
  • 1849年(嘉永2年)藩校明倫館に入門。高杉晋作とともに、吉田松陰より山鹿流兵法を学びます。当時の桂小五郎は松蔭より「事を成す才あり」と評されたと伝えられています。
  • 1852年 江戸で剣術修行。三大道場のひとつ「練兵館」に入門。神道無念流剣術の免許皆伝を授けられ、入門から1年で塾頭を就任。剣豪としてその名を天下に轟かせます。その後、江戸で多くの志士たちと交流し長州藩の尊攘派の主導者として頭角を現します。
  • 1863年(文久3年) 八月十八日の政変(尊皇攘夷派を京都から追放したクーデター)がおこり、長州藩の立場は一変。桂小五郎も京都から追放、命を狙われるようになります
  • 1864年(文久4年)『池田屋事件』(攘夷派が新撰組の襲撃に遭う)では運良く難を逃れ、『禁門の変』(京都を追放されていた長州藩が挙兵し、反対勢力と京都市中において市街戦を繰り広げた事件)で惨敗
  • 1866年、坂本龍馬の斡旋で薩摩藩の西郷隆盛と会談し薩長同盟を締結。翌年、1867年に大政奉還
  • 翌1868年新政府樹立。桂小五郎は木戸孝允と改名します。
  • 1870年明治新政府の参議に就任。「五箇条の御誓文」の起草に参画し、「版籍奉還」の実現に尽力。翌1871年(明治4年)廃藩置県を断行
  • 1871年  岩倉使節団副使として奥州を歴訪。大久保による独裁体制に不審を抱き、政府中枢から遠ざかり、この頃より心労のため発病したと伝えられています。
  • 1874年、台湾出兵に反対し、参議を辞任
  • 1877年(明治10年) 西南戦争の最中、戦争の終結を見ることなく永眠。駆けつけた大久保利通の手を握り「西郷、いいかげんにせんか」と将来の政権を案じながらこの世を去ったと伝えられています。享年45歳

幼年期

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出典:yoshida-shoin

幼少の頃は病弱で、長生きしないと思われており、長女に婿養子を迎え、そのため隣人の桂家に養子となったと伝えられています。

少年時代は病弱でありながら、悪戯好きの悪童でもあったようです。

剣術

江戸三大道場の一つ、練兵館に入門。神道無念流の剣客・斎藤新太郎の指南を受け、免許皆伝を得て、入門1年で塾頭となっています。

剣豪としてその名を轟かせ、新撰組局長近藤勇に「恐ろしく強い、手も足も出なかった」と言わしめたと伝えられています。ちなみに近藤勇は武道「天然理心流」四代目宗家。

幕末の桂小五郎

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出典:ウィキペディア

幕末の桂小五郎の功績を挙げるとしたらやはり「薩長同盟の締結」。

坂本龍馬の仲介によって、薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の桂小五郎が同盟を結んだ事で、政局は維新派優勢へと大きく流れを変えることになります。

その結果、翌年の第二次長州征伐の戦いでは幕府軍に勝利し、大政奉還を実現。新政府の樹立を成し遂げます

維新の木戸孝允(きどたかよし)

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維新政府においての木戸孝允の功績はまず、「五箇条の御誓文」、その作成に参画します。

これは明治天皇が公卿・諸侯に向けて提示した明治政府の基本方針。

1871年には西郷隆盛とともに「廃藩置県」の政策を断行。これまでの「藩」を廃止して、新政府の管轄のもとに置かれた「県」を設置。これによって「大名」の統治がなくなり、新政府の統制のもとで国が運営されることになります

政権を変え、国の統制を変えた、桂小五郎、改め木戸孝允の成し遂げた功績がいかに大きなものであったかが伺えます。

妻、木戸松子

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京都三本木の芸妓、幾松。美しく利発で、芸事にも秀でた優秀な芸妓。桂小五郎は幾松のために大金を使い、最後は他の贔屓客を伊藤博文が刀で脅し、桂が射止めたと伝えられています。

桂が命の危険に晒されていた困難な時代には彼を庇護し、必死に支え続けた賢女。追われる身となり、乞食の姿になって隠れ潜んだ桂小五郎に握り飯を持って通ったという逸話も残されています。

明治元年正式な妻となり、明治10年木戸孝允となった小五郎が病死した以降は髪を切り(薙髪)、「翠香院」となって木戸の墓を護りました。


現代では中身も外見も男前、桂小五郎(木戸孝允)

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遥かなる時空の中で5」では追われているため常に身を潜めている長州藩士。過激ではないけれど尊皇攘夷派の志士。

 

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PSP用ゲーム・アニメ「幕末Rock」では坂本龍馬や高杉晋作などお馴染みのお仲間と共に登場です。


木戸孝允 (幕末維新の個性 8)

 

桂小五郎(木戸孝允)、まとめ

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出典:taigatv

桂小五郎、意外とも思えるほどに明治維新に貢献した志士。間違いなく、時代が変わろうとする時に生まれる英雄のひとりであると思います。

人格やその志、業績、何をとっても、申し分ない、もっと脚光を浴びても不思議ではないスゴイ偉人であったのではないかと思います。


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