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紫式部、平安時代の才媛。雅な(?)恋愛事情と「源氏物語」が生まれるまで

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紫式部は『源氏物語』の作者。平安時代の清少納言と並ぶ才媛です。

平安時代とは、ホントに絵巻や『源氏物語』に見るような自由恋愛であった時代なのか。

時代が変われば良識や常識も変わるものだと驚かされます。

そんな紫式部が生きて『源氏物語』を生んだ生涯とは。

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紫式部、平安時代に生きた才媛

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紫式部は平安時代の女性作家で、日本最古の長編小説「源氏物語」や「紫式部日記」の作者。百人一首にも登場する歌人でもあります。

詳しい生没年、実名は不明。「香子」という説が有力ですが確証に至っていません。

父は当時の大学者であり歌人でもある藤原為時。夫は山城守の藤原宣孝。なので、藤原香子が本名ということになります。藤原宣孝の間に一子、賢子(のちの歌人・大弐三位)出産。一条天皇の中宮(天皇の妻の位)藤原彰子に仕えました。

宮中では、藤原氏の出であることとから、「藤式部(とうのしきぶ)」と呼ばれていました。

紫式部」の名の由来は、同じ歌人で、遠縁にあたる藤原公任との逸話から「源氏物語」に登場する若紫にちなんで「紫式部」の名が定着したといわれています。

 

紫式部の生涯

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  • 970年ごろ  学者・藤原為時の娘として誕生。
  • 998年ごろ  山城守の藤原宣孝と結婚。ちなみに宣孝とは親子ほど年の差があったとか。
  • 999年ごろ  藤原賢子(のちの歌人・大弐三位)出産。
  • 1001年ごろ  夫・藤原宣孝死亡。このころから『源氏物語』を書き始めています。
  • 1005年ごろ 一条天皇妃・彰子(藤原道長の娘)に仕えます。
  • 1010年ごろ 『源氏物語』完成
  • 1012年ごろ 宮中勤めを退去。
  • 1014年ごろ 紫式部逝去

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** 幼少期 **

紫式部は幼少期から文才に恵まれ、その有名な逸話があります。

漢学者でもあった父・為時が、紫式部の兄弟の惟規に「史記」を読み聞かせると、そばで聞いていた紫式部が惟規より早く内容を覚えてしまいます。為時は「男に生まれていたら、立派な学者に成っただろうに」と、これを残念に思ったと伝えられています。

 

** 結婚生活と恋愛 **

紫式部は20代の中頃に結婚。夫・藤原宣孝との間には、一人娘の賢子(大弐三位)が生まれます。宣孝は紫式部よりかなり年長で(親子ほどの年の差)、式部は正妻ではなく、他にも多くの女性との恋愛があったため結婚生活は円満なものではなかったよう

夫との言い争いが、交わした和歌によって現在までも伝えられています。

その宣孝は当時流行した伝染病で間もなく病死。

その後一説には貴族で歌人でもある紀時文と婚姻関係が存在したのではないかとする説が唱えられています。

また、日本の初期の系図集『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく)には、当時最高位の公家であった藤原道長の妾であるという記述も残されています。

ただし、『紫式部日記』には「紫式部が藤原道長からの誘いをうまくはぐらかした」という記述もあり、実際に恋愛関係にあったかどうかは定かではありません。

 

** 晩年 **

紫式部の晩年は生没年同様、詳細は不明。宮仕えを終えた後に死亡。または、兄弟の惟規や親友の小少将の君など、親しい人間が亡くなっており、彼らを弔うため出家して余生をおくったという説も存在しています。

 

性格

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紫式部は人前で目立つことを嫌う、内向的な人物であったと伝えられています。

当時は女性が学問に長けている事が称賛される環境ではなく、宮廷での紫式部は誹りを受けるような辛い思いも経験しています

当時、女性はかな文字、男性は漢文で読み書きするのが通例。女性が漢文、男性がかな文字を使うのはタブーとされていました。

紫式部は読める漢詩を読めないといい、努めて目立ちすぎないようにしていたと伝えられています。

 

平安時代の恋愛事情

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当時の恋愛事情は現代とは大きく違っています。

貴族の女性は他人に顔を見せることができなかった時代。外出すること自体滅多にありません。

なので、主な出会いは侍従の情報から始まります
「あの家に美しい姫君がいる」という噂に、男性たちはその姫君の家の周りをうろつき、覗き見を繰り返します。連日、恋文を送り、自分の存在を伝えますその殿方が気になる姫君は、和歌を送り返し、交際が始まります
そして、合意を得ると夜に殿方は屋敷を訪問、まずは御簾越しに会話。そしてついに姫君の褥(しとね)に入ります

情を交わし、愛おしさが募れば、殿方は通い続けます。

けれど婚姻届もなく、一夫一婦制ではなかった時代。

飽きたら去ることも簡単。面倒な別れ話もなく、ただその家に行かなくなるだけ、なんです。

 

紫式部の創作活動、「源氏物語」が生まれるまで

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式部の日常が綴られた「紫式部日記」の中で、「徒然草」の作者清少納言の事を中傷する記述があります。紫式部と清少納言がライバル関係にあったことは広く知られていますが、清少納言が退職してから紫式部の宮仕えは始まっており、実際にはふたりは面識がなかったと思われます。

 

源氏物語」は夫・宣孝の死後まもなく書き始められていますその評判は次第に広がり、藤原道長にも知られます。

一条天皇に娘の彰子を入内させていた道長は、彰子の教養を高めるためもあり、紫式部を彰子の女房とします

歌や漢文、文学を好む一条天皇も『源氏物語』読みたさに彰子の部屋に来ることが多くなったと伝えられています。

宮中での務めは紫式部の創作意欲を刺激することも多くあったと推測されます。

また、当時は高価な紙も道長からの援助がなければ、原稿用紙2400枚という大作を完成させるのは難しかったと思われています。

ちなみに、光源氏のモデルとなったのは源融源高明光源氏と同じ絶世の美男子にして皇位継承権のない天皇の皇子たちであったと伝えられています。

そして、およそ10年の時を経て「源氏物語」は完成。まもなく紫式部は宮仕えを退きます。


影武者になるサーヴァントになる、現代の紫式部

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Fate/Grand Orderの紫式部はキャスターのサーヴァント。イベント「惑う鳴鳳荘の考察」の主要キャラ。カルデア一行が撮影をする映画の監督・脚本・女優に挑戦する現代でも才媛。

 

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紫式部 まとめ

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今更ながら平安時代の恋愛事情にオドロキです。世の姫君は殿方の夜這いをただ待つだけの生涯。ん〜〜〜、なんじゃそれは。

思えば、長い黒髪もケアが大変そう。十二単もセッティングがしんどそう。

まあ、姫君に生まれなければもう少し自由に生きられるのかもしれませんが。

今に生まれてよかったぁ〜〜。つくづく、そう思います。

by pam(神伝編集部)


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